ここでは2010年~2014年ブラジルワールドカップまで指揮され、
歴代監督のなかでも大人気のアルベルト・ザッケローニさんの講演の内容をご覧頂こうと思います。
テーマは「組織マネジメント」。
そして今回はアジアカップ・ブラジルワールドカップについて語っています。
通訳にはお馴染みの矢野大輔さんがいらっしゃり、著書・通訳日記にもつながる日本代表選手の活動を追ったエピソードもあります。
代表選手と監督のことをもっと知りたい!
という方も楽しめる内容になっておりますのでご安心ください。
【追記】
当時の私は代表が大好きで、上の写真のようにNumberと通訳日記も買い、さらに講演にも駆けつけていました(笑)
ご一読される前に
1回目:リーダーに求められることとは 2回目:強いチーム・強い組織とは
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目次
登壇者プロフィール
アルベルト・ザッケローニ
1953年4月1日生まれ、イタリア出身。現役時代のポジションはサイドバック、20歳を前にして引退。過去にウディネーゼ、ACミラン、SSラツィオ、インテル、トリノFC、ユヴェントスFCとイタリアのクラブチームの監督を務める。 ACミラン監督時代には、就任初年度の1998-1999シーズンにセリエAでリーグ優勝しスクデットを獲得。 イタリアサッカー伝統の超守備陣形のカテナチオではなく、攻撃重視の3-4-3フォーメーションを好む監督として知られる。
日本代表時代 2010年8月30日、サッカー日本代表監督に就任。 代表監督初采配は10月8日の国際親善試合で、アルゼンチンに日本代表史上初めて勝利(1-0)した。 2011年に行われたAFCアジアカップで優勝へ導いた。 監督に就任してから2011年11月15日の北朝鮮戦に負けるまでは1年間無敗(16試合)が続いていた。 2013年6月、2014年ブラジルW杯アジア最終予選グループBを5勝2分1敗の成績でグループ1位となり、5大会連続となるワールドカップ出場を決めた。 2014年6月、ブラジルW杯本大会は1分2敗でグループリーグ敗退となった。 日本代表監督就任後、素早いパスワークとサイドを起点にした攻撃的サッカーを掲げ強化に努めてきたが、集大成であるW杯で結果を残せず、6月26日、日本代表監督の退任を表明した。
北京国安時代 2016年1月19日、中国サッカー・スーパーリーグの北京国安の監督に就任することが発表された。しかし、開幕から9試合で勝点を9しか獲得できず低迷し、同年5月19日に成績不振で解任された。 (Wikipediaから抜粋) |
矢野大輔
1980年7月19日東京都生まれ
セリエAでプレーするという夢を抱き、15歳で単身イタリアに渡り、言葉や文化の壁にぶち当たりながらもサッカー漬けの青春時代を過ごす。 その後、プロサッカー選手になるという夢は断念するも、イタリアに残りトリノのスポーツマネージメント会社に就職。 アレッサンドロ・デル・ピエロを筆頭とするトップアスリートの近くでマネージメントを学びつつ、日本とイタリアの企業の橋渡し役として、商談通訳やコーディネートに従事しながら日伊両文化への造詣を深める。 2006年にトリノに移籍した大黒将志選手の専属通訳となる。 そして2010年、アルベルト・ザッケローニの日本代表監督就任に伴い、チームの通訳に就任。ブラジル・ワールドカップまでの4年間、監督と選手の間を取り持つ役割を担い、刺激的かつ緊張感溢れる日々を経験する。 2014年7月ブラジル・ワールドカップ終了に伴いザッケローニ監督の退任と同時に代表チームを離れる。 ザッケローニ監督が全身全霊をかけて作ったチームとその4年間の積み重ねを多くの人に伝えること、あきらめなければ夢はいつか必ず、形を変えてでも叶うというメッセージを子供たちに伝えるために、執筆、講演、メディア出演などを精力的に行っている。 (矢野大輔オフシャルウェブサイトより抜粋)
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並木裕太
株式会社フィールドマネージメント 代表取締役。慶応義塾大学経済学部卒。
ペンシルバニア大学ウォートン校でMBAを取得。 2000年、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、09年に独立、フィールドマネージメントを設立。 エレクトロニクス、航空、インターネット、自動車、エンターテインメントなどの日本を代表する企業の戦略コンサルタントを務める。 スポーツの分野では、野球において、プロ野球オーナー会議へ参加、パ・リーグのリーグ・ビジネス、ファイターズやイーグルスなど多数のチームビジネスをキーマンとともにつくり上げており、 Jリーグ理事就任までは、湘南ベルマーレの取締役として、チームビジネスの推進に尽力してきた。 さらに、日本のスポーツを支える指導者を表彰するJapan Coaches Awardを運営する、Japan Coaches Associationの理事や日本一の社会人野球クラブチーム「東京バンバータ」の球団社長兼GMでもあり、プロアマ問わず、日本のスポーツビジネス発展に尽力している。 (株式会社フィールドマネージメントHPより抜粋) |
アジアカップ・ワールドカップ予選・本大会を振り返る
講演日:2014年11月26日(水曜日)
場所 :ベルサール渋谷ファースト
ブラジルワールドカップ 対コートジボワール戦について
司会者
ここからは皆さんも、是非お聞きになりたいと思っていらしゃる、ブラジルワールドカップについて伺って参りたいと思いますが、質問は並木さん、グイグイお願いします。
並木裕太(以下並木)
はい。
先ほど最後の方、ワールドカップの話を伺ってましたけど、エピソードとして前線と後ろの方が離れすぎていて、という組織の問題があった、恐らくコートジボワール戦で見られる現象かと思うんですけれども。
そのあと、組織のピンチをですね勝負時のマネジメントとして、どのようにしていかれたのか、お伺いしたいんですが。
ザッケローニ(以下ザック)
まず2つですね、(その前に)言いたいことがあります。
まず、今日ネクタイの色が(矢野と)たまたま被ってしまったんですけれども
(ザックと矢野さんが赤で被る・見た目ほぼ同じ)
(会場:笑い)
別に、なんていうんですか、制服である訳じゃなくて、合わせてきた訳じゃないと。
あと2つ目ですね、自分の癖なんですけど、映像で自分が唇を噛む、下唇を噛むような素振りを見せる時があるんですけれど、その時はあまりうまくいってない時ですね。
(会場:笑い)
並木
先ほど噛んでましたよね、ちょっと。
ザック
まあ、うまくいってないなと。
(会場:笑い)
まずそのうまくいってない時、結果が付いてこない時に何をするかと言うと、周囲の意見に左右されない事なんですね。
なぜその結果が付いてこなかったのか、原因を追求するところから始める。
具体的に、ワールドカップの話に入っていきますけれど、コートジボワール戦(1戦目)の後の話に入ります。
テクニカルスタッフと試合の映像を見てですね、何が問題かというところを原因をしたんですけれど、やはりチームとして連動するところがうまくできていなかった、間延びしている状態になってしまった。
それが原因の大きな一つだったという風に自分達は考えています。
なぜそういった事が起こってしまったのかというと、掘り下げていくと、恐らく相手のことを少しリスペクトし過ぎてしまった、つまり怯えてしまったと。
それはやはり日本のサッカーの歴史がまだ浅いのかな、というようなところも正直あります。
つまりほかの国だったら100年・150年の歴史がありますけれど、日本は20年の歴史しかない。
そういった現象を、原因を把握した上で、今度はチームに、選手達に何が原因だったのかという事を、映像を見せながら説明していきました。
並木
映像を見たときに、きっとコンパクトじゃなかったよ、詰めようよって話をされるかと思うし、そのリスペクトし過ぎてるよ、もっと強気に行こうよって話をされると思うんですけど。
怯えてる人に怯えなくていいよって言っても、多分震えは止まらないし、怯えは止まらないと思うんですけど、具体的にどういった事をされたんでしょうか?
ザック
そういうところはですね、自分達が悪いところばかりを見せるのではなくて、自分たちが良くできたところ、機能していたところを見せながら、また、個人のミスに言及することなく、チームとしての問題という風に捉えて、そういった伝え方えを選手にしていく。
例えば選手とのミーティングの時に一人を名指しで、一人に対して話し掛けることはないですし、つまり、”あなた”という表現は使わない、”あなた達”という表現を使う。
結局負けたことが悪いわけではなくて、負けとなった原因が、そこをしっかりと詰めなければ悪いままになってしまう。
これは選手達のコメント見ながらとか、選手達の実際手元で動きながら見て感じたことなんですけれども、ワールドカップの前に自分達がこれまで積み上げてきた事、やってきたサッカーをみんなが自信を持っていた。
それで世界を驚かせることができると、チーム全員が感じていたんですね。
ただそこで初戦で結果が付いてこなかった事によって、自信といいますか、それまでやってきた自分達の確信めいたサッカーに対して、少し疑問を持ってしまった。
なぜかというと、恐らくそれぞれの頭の中で、結果論を中心とした敗因の分析をしてしまったのかなと。
そういった現象がチーム内に起こってるんだと思いましたし、選手たちが、自分達が作り上げてきたサッカーに、少し自信を失いかけているという風な事を見てとれましたので、まずはピッチのところで、自信、気持ちのところをリセットするところから始めた。
例えば意識をなんとか変えようと思った訳ですね、でもなかなかキッカケというのが見つけられなかった。
そこから抜け出すというすべがなかなか見つけることができなかった。
その時にやはり日常からしかないと。
チームはやはりプログラムが分かってますよね、朝起きて朝食があって、昼食があって、夕食がある。
ルーチンでは選手は毎日記者の前に行って話をしなければいけない。
それで、ある日のランチですね、なかなか選手たちが抜け出せないな、と素振りを見せていたので、そういう意味で「じゃもう今日はメディア対応しなくていい、自分が行くから、敗因の説明をしに行くから」という話をしました。
またそこで夕飯をホテルで食べるんじゃなくて、みんなで外食しようよ、なんて話をしました。
そこでメンタルのところのケアですね、いかにフリーにできるかっていうところで、そういった手法を使いましたし、その日以降はピッチの上で技術的なところをなんとか改善していこう、という手法を取りました。
ブラジルワールドカップ 対ギリシャ戦について
並木
ギリシャ戦(2戦目)直前の代表チームの様子はどうでした?
ザック
すごくいい雰囲気とは言い難かったんですけれど、何とか初戦から立て直そうと気持ちはありました。
ただギリシャ戦に関しては、分析すると、自分達の世界を驚かす(サッカー)、これまででやったことがない事、誰もやった事がない事ををしようと、そういったものは見えなかったと、思っていますし、自分達のサッカーというのをスピードをもってやることはできなかったと。
そういう意味ではチーム内の雰囲気といいますか、後押しされるような気持ちっていうのは、なかなか無かったかなという風に思いますね。
ただ当然相手もあることですからサッカーというは、相手を褒めることも覚えなければいけなくて、ギリシャの戦い方なんかは、やはり10人になってからの(戦い方を)変えたのはすごくハッキリしてましたし、結果0-0で守りきれたっていうのは明確になりましたから、そこはやはり認めないといけないところかなと思います。
ギリシャの特徴というか、ギリシャリーグの特徴でもあるんですけれど、強いフィジカル、あとはマリーシアと呼ばれるずる賢さですよね、があるリーグなんですけれど、ギリシャの代表チームも10人になった瞬間に戦い方の意識を共有して、守りきるというサッカーをしてきた。
それを打開する方法としては、やはりスピードに乗った攻撃というのが、打開する方法なんですけれど、それをする勢いっていうのが我々には恐らくなかった。
初戦の敗退がそういったところに響いてしまった。
あと数日時間があれば、という思いもあります。
並木
んー。
ザック
そのメンタルの部分でのバランスを整える為に、もう少し日数があればな、と思います。
そのフィジカルコンディションのせいといいますか、そこに責任がいってるような風潮があると思いますけれども、私はそう思ってなくて、時にメンタルがフリーでないと、やはりフィジカルにも影響してしまう。
並木
そのギリシャ戦の後に、皆さんも覚えてると思いますけど、練習を中止して、その時監督が思っていた意図であるとか、その時のお話というか、どんなことを伝えたのでしょうか?
ザック
先程もあったんですけれども、敗戦というか望んだ勝ち点が取れなくて、チームが勢いというか、雰囲気が最高ではなかったので、そういった時に、掛かってくるプレッシャーをどういう風に取り除いてあげるのか。
その時に私がよく使う手法ではあるんですけれども、ルーチンを変えるというか、何かキッカケを与えてあげる、作ってあげる、意図的に作るというのを、自分は使う。
並木
その際に、そのプロセスはもちろん監督がリードされていくんだと思うんですけれども、選手の中で存在感をもって行動していたような選手っていましたか?
ザック
長谷部を先頭に、やはり中心メンバーが、経験の豊富なメンバー、特に海外組というのが頼もしい。
ワールドカップ敗退。日本代表に足りなかったもの・ザックが受け取ったものとは
並木
なるほど。このワールドカップを通して振り返ると、ザックさんの中で日本代表で足りなかったもの、先ほど時間というのがありましたけど、時間以外で何かありましたか?
ザック
ワールドカップに行く前に(2013年)11月のところでオランダとベルギーとアウェーの場で試合をした経験があるですけれども、その2連戦を通じて、世界の有名選手を目の前にしても、アウェーの場でも、自分達のサッカーであったり、パーソナリティー、つまり積極性をもったり、怯まないでサッカーができる、というところがようやく修正できたのかな、という風に思いましたので、ブラジルのところでもやれる、という風に思っていました。
この4年間で日本代表というのは、世界での見方というのも変わってきたという風に思いますし、大きく成長したという風に思っていて、ワールドカップの前の日本と同じグループに入りたくないということもよく言われましたし。
なぜかというと、世界でやっぱり見てるんですね、日本がアルゼンチンに勝った、フランスの地でフランスに勝った、ベルギーの地でベルギーに勝った、オランダとナイスゲームをした、イタリアと負けはしたけれど、素晴らしい戦いをした、そういった事を見てる訳ですね。
やはりそれだけではまだまだ足りなくて、強豪と対戦して結果を残していく経験を、より積まなければいけないと思いますし、まさにそれが先ほど言った歴史、歴史ですね、つまり歴史を作っていかなければいけない、弱いところとやって勝つのではなくて、強いところとやって歴史を作っていかなければならない。
私が嬉しく思ってるのが、日本サッカー協会が、自分が示してきた道を(これからも)継続するということを約束してくれましたし、非常に嬉しい。
また私が代表チームを離れる時に協会にも言ったんですけど、世界での経験というか、アウェーでの経験というのをより積まなければいけない、その目先の結果で左右されるんじゃなくて、負けてもいいから、アウェーの場で戦うことが日本サッカーが成長する、というような話をしました。
そういう意味では本当に、もうちょっとのところまで日本は来ているという風に思っていて、そんなに大きな差は世界とはない、という風に思っているので、もう少し、そこを詰めることができればという思いでいます。
並木
この4年間で、そしてワールドカップでザックさんが日本代表に与えられたもの、何があると思いますか?
ザック
ほんとに甘やかされましたね、沢山いい思いをしました。
(会場:笑い)
ザック
もし次に他の(国の)代表監督になったとしても、日本代表と比べることは、そういったリスクは犯してはいけないと思っていて。
なぜかというと日本代表で得た経験であったり、協会の対応、サポーターの対応、選手達の対応、そういったものと比較してしまった時点で、それ以上はない、と、いう風に確信していますので、比べることは絶対にしてはいけないという風に思っているんです。
並木
今度はザッケローニ監督から日本代表が学んだこととはありましたか?
ザック
そういったことは自分で言うのは、何だかおこがましいといいますか、それは協会の方であったり、選手だったり、サポーターの方が言ってくれるのが一番だという風には思うんですけれども、自身としてはこの4年間、日本の為に尽くすという覚悟で仕事に従事してきましたし、自分のサッカー観であったり、経験であったり、これまで培ってきたすべてを日本の為に尽くすと、いうような思いでやってきた訳です。
ただ一つ言えることは、自分が与えたよりも、自分が受けた、頂いたものの方が大きいということは確かです。
もしも日本のクラブからオファーがあったら
並木
最後にいいですか?一つお伺いしたいんですけれども。
司会者
はい。
並木
もしも日本のクラブからオファーがあったら、どんな意見をもってらっしゃいますか?
えー日本のクラブから監督のオファーがあった時に、どんな事を大事にしてどう選ばれるのか、そしてそれに対してポジティブなのか、お伺いしたいんですけれども。
ザック
まず、今の時点ではですね、恐らくオファーを受けません。
なぜかというと、日本代表の経験ですね、この4年間の非常に素晴らしい、素晴らしすぎたので、そういう意味でジョコンダの絵がありますけれども、つまり美しすぎて、完成されすぎていて、そこに何かを加えてしまうと美しくなくなってしまうというか、それ以上のものは望めないと感じてるので、まさにそういった気持ちですね。
なので受けない、と。
ただですね、サッカー界ではルールがありまして、
あのーんーなんて言うんでしょうね。
言った事がそのままになる訳ではないというか、何が起こるか分からないですよね。
(会場:笑い)
サッカー界では何が起こるか分からないので、そういった事も言える。
司会者
期待の持てるお答えをありがとうございます。
並木
楽しみにしてます。
ザック
そうですね、私は4年間すごく楽しくやれましたし、満足もしていますし、ただワールドカップに関しては選手達と同様、もっとできるという風にみんなが思ってました。
ただこの日本との、日本人との良好な関係というのは継続していきたいという風に思っていて、ここ一週間ですね、日本に来てるわけですけれど、街の人の歓迎ですね、自分を受け入れてくれる、その姿勢に非常に感動を覚えている。
なので日本との、日本人との関係というものを大切にしていきたいなと思っています。
そういう意味ではプロとしての関係ではなくて、人として大切にしていきたいなという風に思っています。
司会者
嬉しいです、ありがとうございます。
ザック
(日本語で)どう致しまして。
(会場:笑い)
本日もご覧頂きありがとうございました。